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小さな川の物語

木造町長  盛  貢 

「小さな村の小さな川の物語」
梅の実が色づき始める頃、子供達は歓声を上げて川に飛び込む。わが村の近くを流れる地図にものらない小さな川、それが夏の子供たちの楽園であった。
当時はプールなどといったものもないし、小さい子供達は川にもゆけず、家の横を流れる堰、しかも働き終えた馬を洗う場所で、水遊びをしたのである。
だから、川での泳ぎは、一廻り大きくなったという喜びすら伴った。しかし、そこは上級生などに占領され、小さな奴はいつも川岸に追いやられていた。
 川の近くの2つの集落には、それぞれ学校があり、隣村の学校は大きく、高等科のある小学校。
一方わが方は複式の3学級の小さな学校である。今では考えられない部落根性から仲が悪く、子供達にとって、隣村に行くのには大きな冒険というより、大きな恐怖ですらあった。時には村境で口汚くののしりあったりした。
そんな事から、この川の泳ぎ場は2つの学校の陣取合戦の場でもあった。それでも、時には高等科が仲立ちしたり、お互いの大将の計らいで一緒になることはあっても、2つはそれぞれ別々の塊でいた。びくびくしながら。
 泳ぎにもいろいろあったが、特に水門の最上段から見事な飛び込みをする高学年生は、羨望の的となった。早くあんなになりたいと思った。ところが、ある時、隣村の大きな奴が私を抱きかかえ水門真下の淵へ飛び込んだその恐ろしさは今でも忘れられない。その時のショックが高所恐怖症となって今でも続いている。
 この小さな川は妙堂川といって、全長10キロにも満たないし、川幅も広いところ10メートルもあるだろうか。だが両岸には豊かに草が繁り、野バラの香りが満ち、(戦時中、何に使うのか、子供達に花を集めさせた。)そして、野いちごの宝庫でもあった。こんな美味なものがあろうかと思ったものだ。(先日、群落がてつかづにあったので口にしてみたが、昔ほどでなかった。)
また、味も素っ気もない真瓜の芯を食べたり、他愛ない遊びに日の暮れるのも忘れていたものである。
 「泳ぎ子に 西日まだある 泳ぎかな」
 この川でもめったに遊ばない場所があった。何の変哲もな所だが、その昔、大飢饉の時、馬を盗んで食べた一家が皆殺しにされ投げ込まれた所というのである。さすがにそこでは誰も泳者はなかった。それに雨の夜などは火の玉が出るとか、怖い話もある。私なども夜の田んぼの見廻りは、いつも避けて通ることにしていた。
 しかし今は、曲がりくねっていた川はコンクリートで整備され、バラも、イチゴも姿を消し、子供達の騒ぐ声は全くない。世の中は豊かになって、食べ物はあふれ、色鮮やかな水着でプールで泳ぐ子供達。安全と幸せは確かにある。その事はいい。だが、子供達が自然との関わりを失うことで、もっと大きなものを失ったのではないかと思われてならない。
何かわびしい。コンクリートづけの真っ直ぐな川は味気ない。自然のままのこの川は、それなりの良さがあった。今、ようやく川造りで失われつつあるものを見直している動きにホッとしているのは、私1人ではないはずである。
 川は人生の縮図であるという。自分の人生はかけがいのないものである。
 「かけ替えのない人生を大事にしよう」
 わが村の小さな川はそれでも黙って流れている。
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